入り口がゴールでいいのか

入試制度の疑問より

京都の公立高校入試倍率を見ると、「入り口」がゴールになってしまっている構造が見えてきました。偏差値や内申点、倍率に一喜一憂し、入学できたかどうかが全てのように扱われる。確かに選抜は必要ですが、いつの間にか入ること自体が目的化し、その後の学校生活や成長は後回しになりがちです。

この構造は、教育だけでなく就職制度にも重なるのではと思いました。

3年間の段階的職業体験と再チャレンジ制度

わたしは、キャリアコンサルタントでもないので、ド素人なのですが、少し自分なりに考えてみました。人口減少社会において、国としても人材育成はますます重要になります。若者が社会に出る前に3年間の段階的職業体験期間を設けると、個人と企業、そして社会全体にとって大きな価値があるのではと考えました。

  • 1年間ごとの企業体験と査定
    企業は1年ごとに能力・適性・文化へのフィットを査定
    個人は自分の適性や仕事の実態を確認
    マッチングすれば正式採用へ
  • 翌年、マッチングしなければ次の職場へチャレンジ
    最大で3年間、さまざまな職場を経験しながら自分に合う道を探る
  • それでもマッチングが成立しなければ教育制度へ
    公的な教育支援を受けて資格取得やスキル向上を図る
    次のチャレンジに備える柔軟な仕組み

このような制度なら、企業と個人が互いに十分理解する時間を持て、早期決定によるミスマッチを防げるんじゃなかろうかと思いました。また、社会としても、将来必要な人材を計画的に育成できる利点があります。

入試倍率と就職倍率の共通点

京都の入試倍率と就職活動の構図は似ています。

  • 限られた席やポストを奪い合う競争
  • 評価軸が画一的
  • 入口で人生が大きく分岐する

効率的な選別ではありますが、幸福や成長の観点では疑問が残ります。教育も就職も、本来は「適性 × 成長 × 時間」で決まるべきです。しかし現状は「一発勝負 × 早期選抜 × やり直し困難」の構造です。

オーダーの世界に置き換えれば、「初回来店で全てを決める」ようなもの。いきなり全てをスピーディーに判断してしまえば、後から作り直すことになるリスクもあります。

「無駄」を許容できる社会の価値

3年間の段階的職業体験は、一見非効率に思えます。しかし長期で見れば、

  • 早期離職の防止
  • 社会的コストの削減
  • 人材の最適配置

につながる可能性があります。ヒアリングや採寸、そして、靴の仮合わせを省いて本縫いするようなもので、最初は遠回りに見えても、結果的に質の高い経験と能力を生み出します。

入口よりも「中身」を設計する

入試や就職の倍率が過熱する背景には「そこに入れば人生は安泰」という幻想があります。しかし本当に重要なのは、

  • 入った後に何を学ぶか
  • どんな環境で、誰と、どんな時間を過ごすか

入口での序列化にエネルギーを費やすよりも、入った後の中身を磨くことが、長期的に見て幸福にも成果にもつながります。

制度は人間のためにあります。人間が制度に合わせて苦しむ社会は、どこかで歪みが生じます。

人口減少社会では、国としても計画的な人材育成が必要です。若者が社会に出る前に3年間の段階的職業体験を行い、毎年企業が査定・マッチングし、それでもマッチングできなければ公的教育制度で再挑戦できる社会であれば、入試や就職の序列競争は少し変わるかもしれない。入口で勝つことだけを目的にするよりも、経験と中身を重視する社会の方が、結果的に強くなるのではないでしょうか。

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